5/22 元々考えてたこと
とうとう、
会社の方に6月いっぱいでお暇(いとま)をもらう様、話が尽きました。
まあ、会社側としては「待ってました。」みたいなものです。
社長や、その奥さんなどは、病気になってからこっち、私はまともに仕事をしていないと思ってるようでしたからね。
直接の決断としては、
「自分としては無理をしているつもりでないのに倒れた。」事ですかね。
しかし、実は今年になってから新しい仕事が一件もなく、私の体ではこの先・・・。
と考えていたので逆に言うタイミングをもらった様なものです。
まあ、今の時代、再就職は大変かもしれないがタクシーの免許(二種免)を持っているので何とかなるでしょう。
家に関して社宅なので来年春には空けるということで許可をもらいました。
娘が高校受験なので現在の中学からの方が有利と考えお願いしました。
まあ、ゆっくり、先の事を考えます。ゴキブリ的生命力のMATSUですから何とかなるでしょ。
今週の体重状況ですが、ちなみに不思議なことに倒れてからおしっこが少し復活しだしました。なんでだろう?
透析前 透析後 除水量 開始時体温 終了時体温
5/17 65.0キロ 62.0キロ 63.0キロ 36.8 37.8
5/19 64.5キロ 62.0キロ 62.5キロ 36.5 37.4
5/21 65.0キロ 62.0キロ 63.0キロ 36.8 37.7
ちなみに私の場合の理想体重は月曜日(2日おいた場合)65.6キロ(5%増し)
水・金の場合64,5キロとなります。(3%増し)
月曜日の血液検査は
透析前 透析後 標準値
BUN 67.3 22.2 7.0-20.0
CRE 13.26 - 0.50-1.20
K(カリウム) 4.0 - 0.5-4.8
IP(リン) - - 2.5-4.3
今週は膵臓の炎症を治すため改めて食事制限をし大好きな焼酎、たばこをまるっきりやめているので(「やめたので」とはまだ言う勇気がない)すごく数字がいい。
しかし、勘違いしてほしくないがこの数値のままの食事量を進めたら私の体はがりがりになってしまう。
ちなみに今週は事務仕事で職場復帰したが、力がでなくボーっとする時間が多かったし、足の浮腫(むくみ)がひどかった。
事務仕事も楽ではない。この体では・・・。
5/11 とりあえず退院
とりあえず退院してきました。
とかきはじめてもわからないですかね。順を追って説明します。
まず、4/21 暑い中、現場仕事が続き朝からばてていたのは事実。
それでもひと仕事任されてたので少し我慢して何とか10時まで作業する。
がそれまで。兄貴に頼んで休ませてもらう。
そのときの状態は、いくらからだがあつくても汗一つでず、体の中がほてってるようだった。
体温は38度とにかく冷やして安静にする。
その後も火照りと体のだるさは直らず、透析にも何とか通うのがやっとの状態。
透析時の発熱もいつもより高くなる。
一週間後 4/26 胃の調子が悪く昼のうちに透析の病院へ電話するが胃の担当の医師が担当曜日でないのでいないので、ほかの病院へ行くことにする。
2時間以上待ってなんとか診察、胃カメラ等の検査は予約しなければできないとのこと。
透析患者へは普段の薬がわからなければ薬も出せないとのこと。
紹介状とかのデーターがないとだめらしい。
結局何の治療もないまま(胃が痛い割には腹が減り食事だけして)透析へ。
透析の病院の技師さんに症状を話す。
専門ではないが当直医師をすぐ呼んでくれて、胃カメラ等の段取りができないか改めて調べてくれるがG・Wの前のためうちの病院ではどうにもならないらしい。
その後、私が昼間いった病院へ電話をしてくれてなんとか次の日に胃カメラ・腹部エコー・等をしてくれるとのこと。
この辺から記憶が曖昧になる。体温が39.7度になったのは確か。
とにかく自力では帰れそうもないので入院させてもらう。
それでもおなかがすいていたので女房に連絡をとってもらってお粥を作ってもらう。
食欲だけはあるようだ。
4/27 紹介状を持って病院へ。
私は当然歩けず車いすでの移動になる。
ぼーっとしていたのでいろいろ曖昧なところもあるが、さすが紹介状があるからか早めに胃カメラ・腹部エコーはやってくれた。
驚いた結果が・・・・。
「何の異常もありませんね」
担当医師がやって来て「特に異常は見つかりませんでしたね」と結果表を渡してきた。
えっこれでおわらす気?まさか?
本当にこのときの医師はこのまま帰す気だったらしい。
はっきり覚えてないが付き添って行った妹が言い張ってくれてCTをしてくれるように頼んでくれたらしい。
妹はこの病院へ入院をお願いしていたが透析室がいっぱいで透析のあるいつもの病院にとのことになったらしい。
(この病院は大きいのだが改装したばかりで設備はあるが人材が足らないらしく透析も昼間しかやっていないにのだ)
それでも特に異常は見られず「多少膵臓が(すいぞう)肥大してるかな?位だそうだが、それが原因で39度の発熱はあり得ないとのこと。
とりあえず、データーをすべて持っていつもの病院へ戻る。
ここからは完全に記憶がない。
結局、膵臓に炎症がみられるので血液検査から膵臓の様子を確認し、炎症状態が悪化していることを確認。
発熱は、抗生物質の点滴で落とす用にすることにしたらしい。
結局、発熱の原因はわからないまま治療を続け、あがったり、下がったりで
5/6まで、毎日2度は39度になる日々を過ごす。
驚くのは39度になっても汗は一粒も垂れない。
とりあえず今は膵臓に炎症は残っているが熱は完全に平熱になったので退院となった。
一週間は安静とのこと
今日はこの辺で終わります
4/16 状況報告
今週の体重状況ですがこの暑さ・寒さには体がついていません。
ちなみにおしっこはほぼ止まりました。
透析前 透析後 除水量 開始時体温 終了時体温
4/12 65.9キロ 62.0キロ 63.9キロ 37.0 37.8
4/14 65.4キロ 62.0キロ 63.4キロ 36.5 37.4
4/09 65.9キロ 62.0キロ 63.9キロ 36.8 37.4
ちなみに私の場合の理想体重は月曜日(2日おいた場合)62.6キロ(5%増し)
水・金の場合64.5キロとなります。(3%増し)
今回から体温の変化も入れてみることにした。
12日は以上に気温が暑くしかも現場仕事だったので昼間のうちから体がほてっていたのがすごくあつくても汗が流れず、やっと終わり際になって首から上に汗を感じたが体には全然流れる様子がなかった。
チクチク痛がゆいだけ。
汗が流れないから体がほてったのらしい。
月曜日の血液検査は
透析前 透析後 標準値
BUN 95.3 33.2 7.0-20.0
CRE 16.76 - 0.50-1.20
K (カリウム)5.9 - 0 .5-4.8
IP (リン) - - 2.5-4.3
カリウムが初めて高かった。ちなみに6.5以上になると心臓停止の可能性があるらしい。
カリウムはいくら接種してもあがらなかったのだが、これから注意しなければ。
おしっこもほぼでなくなり、少し水分制限をすぎれば顔がむくみやすくなって来ている気がする。
しかも、時々、訳もなくいきなりからだがだるく感じる時がやってくる。
15分くらい横になっていれば楽になるのだが、尿毒症の症状らしいが、特に水分とのかねあいがわからない、いきなりくる。
少し様子を見よう、食事量を落とすことも考えたが今より落とすと空腹感にいらだちが勝ってしまう。
とにかく様子を見ていこう。
4/10 新バージョン
なかなか文章がまとまらずずいぶんあいてしまった。
とりあえず更新していくためと最近苦労している水分制限・食事制限の経過である体重の変化を記録していこうと思う。
ドライウエイト(基本体重)は現在62.5キロ通常の透析終了体重は夕食分を引いた62.0キロです。
4/5 透析前65.9キロ 透析後62.0キロ 3.9キロの除水
4/7 65.0キロ 62.0キロ 3.0キロの除水
4/9 65.8キロ 62.0キロ 3.8キロの除水
ちなみに私の場合の理想体重は月曜日(2日おいた場合)65.6キロ(5%増し)
水・金の場合64,5キロとなります。(3%増し)
なかなか守れてません。情けない。
このごろ微妙に暖かい日などはのどが渇いて仕方がない。
コーラを飲むときなどは半分捨ててから飲むようにしてますわ。(あーもったいない)
ちなみに毎週月曜日に血液検査をしている結果は
透析前 透析後 標準値
BUN 82.8 28.20 7.0-20.0
CRE 15.28 6.03 0.50-1.20
K (カリウム) 4.6 3.4 3.5-4.8
IP (リン) 7.0 3.4 2.5-4.3
と数字だけのせてもわからないかもしれないが・・・
標準値とは一般健常者の範囲で、透析後でもその範囲には入りません。
特にリンの7.0は初めての7台で古語路多すぎて注意しているのだが・・・。
透析患者の体の中がふつうの時でもどうなっているのか食事制限の大切さを改めて感じる。
来週はもっとがんばろう。
つ・つらいけど・・・。
3/20 長男第一歩
遼(はるか)に磨(みが)け
今回は透析の話しではないのだがこのところ頭を悩ましていた問題についてひとつの結論が出たので記録したい。
長男(16才)を妹夫婦の家に下宿させる事にした。
まだ早いと思いはするが元々、したいことが有れば家を出れるようにと最低限の料理くらいは出来るようにし向けてきたのでそれほどの不安は無い。
昨年6月頃からバイトを始めたのはいいのだが高校もバイト先も町場に有り、夜7時でバスの終わってしまう山の中の私の家には交通手段は無く、山道を自転車で一時間も走らせる訳にもいかず(大型ダンプの男多い道なのよ)、迎えにはいかなければならない。
別にそれは当然のこととはじめから分かっていたのだが、はじめの頃、9時までの約束のバイトだったので、透析の日は、(透析は8時頃に終わるので)町場の方にいくので一時間も待っていれば良かったのだが・・。
だんだん、透析以外の日も増え、頑張る長男はバイト先にも気に入られ、10時くらいまでの時が増え、時には11時なんて場合もちらほら。
しかも、終わる時間は不規則で、飲食店なのでお客の入り次第で途中連絡など出来ず、2時間くらい待つことになる。
一回帰ってから迎えに行くパターンも有るがそんな時に限って8時半くらいに終えたりと、家から店まで往復一時間弱、とんぼ返りはたまらない。
とりあえず、そんな生活を1年過ごして来たのだが、透析のあと、2時間時間つぶしを摺るのにも限界が有り、体調の悪い日などは、町場に住む、妹夫婦の家に泊まらせてもらったりもしていたのだが・・・。
透析で週の18時間拘束されている上にお迎え等で週4日くらい8~10時間待ち合わせ時間で潰されるのにはたまらない。(子供の事なのだから・・。と言うことは分かっているが・・・。)
それでも頑張る長男にバイトをやめろとはいいたくない。学業の両立もそこそこうまくいっている。
バイクを持たせると言う話しも有るがタクシー経験者の私はバイク事故は数多く見てきているのでそれだけは乗せたくない。
(しかもこんな山道事故ったら誰も助けてもらえない)
前々から、妹夫婦のいえに一部屋空いてるからそこへ、下宿させればといわれていた。
一年が過ぎ改めて考えてみることにした。
一人暮らしをさせるにはまだ早い気はする。
このところの長男にはバイトをしているからかお金を無駄に使いすぎる様子にはきががりなとこもあった。しかも、家で、娘や女房に対してわがままもでており、生意気さが増し、家の手伝いもほとんどしなくなってきている。家にいる意味が薄れているような気がしていた。
金銭的にも、月2万のバス代。時間的にも待ち時間のかかる本数の少ないバス。
と、いろいろ、うだうだ考え、先日、長男へ話してみると、やはり不安らしく、一晩じっくり考えてみたらしい。
が、町場で住んだ方が利点が多い事は明白、家にはいつでも帰って来れるので、長男も了解し、改めて妹夫婦へ申し出る。
いろいろ不都合も出るだろうが小さい頃から親しんだ妹夫婦なので問題無く了承してもらう。
結局は、私の体調が一番の理由になっているのには間違いない。
透析中の発熱は相変わらず続いていて37.5度くらいの時はやはり体調が悪くその日に2時間も待たされるとぐったりしてたまらないのだ。
高校時代に下宿をするのも長男にとって決してマイナスにはならないことと確信して今回の事を決断した。
家を出ることを決めてから長男はやはり不安は隠せないようだ。
私の「今回この家をでると言うことはもう、家族と生活するのは最後と言うことだからな」の言葉に長男は現実を実感したようだった。
少し早めの第一歩。長男のさらなる成長を祈る。
【遼(はるか)に磨(みが)け 】