Matsuの透析日記2
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ライブやりました

友人のKです。

久しぶりにMATSUとライブをやりました。

その様子をアップしたんでよければ見に来てください。

こちらから

2005/9/2 新学期

昨日から新学期が始まった。
次女は結局学校へは行きませんでした(?)行けませんでした。
夏休み宿題はほとんど終わらせていたようだし、髪を染めて(夏休みの間家族で盛り上がり、全員で髪を染めたのですが)気分を変えて、もし気にするようなら黒染め液はかっておいたのだが、染めた髪が気に入ってるようで、この際、学校へ行くなら髪くらいいいかと思ってい他のだが、だめでした、夜うちに帰った雰囲気でわかったので、とにかく叱る言葉もみつからないし、ふれずに居たら、近くに住む私の兄から、次女へ、「ゴルフの練習場へつきあわないか」とメールが来て、(兄貴も次女のことを気にしてくれてるようでここのところ2・3回連れってってくれている。)そそくさと次女は出かけていった。
元々、学校へ行けなくても当分は様子を見ようと決めていたので、我慢するのがつらいつらい。
髪を染めたことに関しては前もって、学校の担任には、「適切な指導を頼みます」と変に怒ったりはやめてくださいと、お願いしていたので、どうなるか本当は反応が楽しみだったのだが・・・。
この後、どの時期にどう声をかけるのかが難しい。
今週末は、小学校の頃の先生に誘われ映画」「なな」を見に行きたいと言うので疑問はあるがとにかく外に出るのはいいことなので許可する。
小学校のときは、そんなに好きな先生とは聞いていなかったのだが、少なくとも、気を遣わずに接することが出来るのだろう、不思議だ。とりあえず、何ら変化は見られず、夏が終わってしまうことになるのだろうか・・・・。

ちなみに、心配をかけていました輸血に関することですが、ぎりぎりのところで、数値が上がったので見送りになりました、
今年で2年連続夏場での貧血の悪化は、相変わらず、原因ははっきりしませんでしたが、注意のしどころはわかってきたので来年は気をつけます。

7/30 輸血

先日の更新でばてないようにと書き込みながら結局

7/11から一週間入院してしまった昨年と同じく膵炎と貧血。

熱発が無いだけよかった。


しかし6月頃からCRP(C反応性蛋白ー体内の炎症反応がわかる採血の項目)が
高くなっていて

Hb(ヘモグロビンー貧血のわかる項目通常8~11)

Ht(ヘマトクリットー貧血のわかる項目通常29~33)

が下がってきていた。


つまり体のどこかで炎症を起こしているため貧血になっているらしい。
先日の入院で胃カメラを飲み胃には多少の胃炎と治りかけた小さい潰瘍があるだけで
問題は無いらしい。

5月からの数値を並べると

5/16 11.5 34.4
5/23 10.6 32.1
5/30 10.6 31.6
6/6 10.0 30.1
6/13 9.2 28.2
6/20 9.3 28.6
6/27 8.9 27.0
7/4 5.81 8.7 26.3
7/11 11.39 8.2 25.7 入院
7/18 2.78 8.3 26.6   退院 
7/25 7.83 7.7 24.0

来週、検便をして、採血して、結果が悪ければ水曜には初めての輸血です。

違和感もありますがいろいろ輸血により病気が移ったり等の話が耳に入っているので
少し不安です。

ここのところ娘のことばかり気になり自分の体のこと正直気にしてませんでした。
やはりきくところによると3年目はいろいろ体調の変化や透析の慣れなどで

悪いことが結構あるそうです。

気を引き締めて、膵炎と、貧血に当たります。

ちなみに娘はあいかわらずで、ほとんどうちからでません、いろいろ進めてはみるの
ですが、買い物や映画に言った位ですかね。

昨日小学校の保健の先生に誘われ小学校へ遊びに行ったが、昼過ぎには
帰っていて疲れた様子でした。

人と接するとかなり疲れるようです。


がんばる

「家族会議」から二日目、娘は学校へ行ってくれた、朝、自分で起きて行った。
タイミングもよく翌日はキャンプ行事だった。
筏を作ったと、とても楽しそうに話してくれた。

しかし、その後娘は未だ学校へは通っていない。

何が娘を苦しめているのだろうか?
いくら考えても答えはでない。
初めのうちは朝は目を覚ますだけはさましていたのだがここのところはさまさない。


声をかけるタイミングはなかなか難しいが夜帰ってから初っぱなの感触次第では普通に話せる。

が、タイミングを誤ると、すーっと、部屋に入ってしまう。

朝の声掛けは、やめようと思うが、昨日からおなかが痛いと言い出したので、病院を進めてみるが、返事は無い。


明日から7月、今月行かなければ丸一年の不登校になる、(間少しは行ってるが)

当然、まとまる話では無い。
毎日、落ち込んだり、何とか前向きにと心がけたり、私が情緒不安定気味に也そうだ、
しかし、「楽しもう」絶対後で笑い話になるんだと考えて今の此の状態を「楽しもう」


娘のとっては辛いだろうが成長の糧と必ずなることを信じて、今は待つ。
待つ、待つことが必要なのだろう。・・・・・か?


この暑さに、体調管理が大変で、何をかいていいのやら、透析開始から3回目の夏今年は夏ばてしないよう気をつけて、がんばらないように「がんばる」。

6/8 家族会議

相変わらず私の周りは、落ち着くことは無いのだろうか・・・。


基本的にはGW後やはり学校に行けなくなってしまった次女のこともあり、久しぶりに「家族会議」を開くことにした。

問題が起きたときは家族で話し合う場を、出来るだけ持つようにしてきた。

この前の時は私の病気について話し合いをしたのを 覚えている。


今回は、次女に集中して話をしたくは無かったので、時間をたっぷり使う気で、まずは、「最近の日中問題から?」何故、同じ人類として生活し発展してきたのにこんなにも対立してしまうのか?分かり合えないのか?あまりにも食い違う日本人と中国人の考え方・感じ方の違い・・・・・。

分かり合うのに言葉は重要だ・・。ということ


ここを話のきっかけに、長女は、高校に入ってから部活に入ろうかバイトをしようか考えてはいてもなかなか行動にできていない。
バイトは、「見つけよう」としなければ見つからないし、「しっかり、働こう。」としなければ長続きしない。

今のままではいけないのでは?  と話しをする。


次に長男。

本人はがんばっているので、私に注意をされるのは納得いかないようだったが、何しろ金使いが荒すぎる。

5万以上もバイトで稼いで、半月くらいでほとんど無くなっている状態だ。


この先、看護学校とかに入ればバイトも出来ず金がなくなったらどうする?と話していると長男はやはり納得できないかいろいろいい訳を重ねてきた。
ぼろが出た。


実は昨年、携帯のパッケット詐欺に遭っていたらしい。

電話で「7万円払うように」いわれ、覚えも無いのに結局住所等を話してしまい、友達くらいにしか相談しなかったので払ってしまったという。

だから、すぐにお金が無くなってしまうのだという。ほんと、馬鹿なことだ。

もう少し謙虚な姿勢で親に相談すればいいものを・・・。「いえば怒られるし・・。」

「どうせお金無いだろうし・・・。」と思ったという。情けない。


しかし、詐欺行為が高校生レベルをねらっているのは知ってはいたが 自分の子供に関わっているとは・・・。

いやな時代だ、ガキから金巻き上げて・・・・。


長男は、「もう人は信じられない・・・。」とつぶやく。
ちょうど今、クラスの仲のよかった友人とぎくしゃくしてることと重なって、人間不信気味らしい。


寂しいい話だが、「裏切られる」ことを経験した上でなお人を信じられる人間になってほしい・・・・。

今まで温室にいたようなものだからショックは大きかったらしい。

友人に関してもいろいろ人間不信が重なり正直性格の悪さが目につく。

彼女も出来て調子に乗りすぎてる感じが友人たちとのずれを大きくしてるのだろうと想像できるが、何しろ、調子に乗ってる時期だから説教してもなかなか心に届かないようだ・・・・・。


少し時間がかかるだろうか?痛い目に遭わなければわからないのだろうか?


次は女房について。

女房はすごくがんばってる。仕事を始め、家事をこなし、すっごくガンバってる。

正直こんなにガンバってる女房は初めてみる。
しかもよく話をするようになり別人の様に夜になると仕事の話をしてくる。


だから無理しないように、こどもたちも協力してほしいと話す。

特に早番の時は4時起きで、弁当作りから夕食の準備等思いっきりがんばってる。
だから、手伝いを進んでやってほしい。とお願いする。


そして、私について、予想以上に、体力は落ちていることを、理解してもらい、仕事、給料的にも今以上にはあがることは難しいので節約等を心がけてほしいとお願いする。
前の会社の給料からの今の給料の差は激しいのだと理解を願う。

情けないが事実だから、生活レベルは下げざるを得ないことを告げる。


そしてメインの次女の話、ここまでの話はやはりこの話へつなげるものだと構成してきたつもりだった。

話をすることは大事だと、言葉にするのは大切だと話してきた。
しかし、次女から明確な言葉は聞けなかった。


「学校嫌い?」「大人嫌い?」「今のままでいいの?」


一通りのことを待ちきれず長男が聞きまくる。

「うん」や首を振る位の返事しかなく堂々巡りが続く・・。


どうしても私が聞きたかったのが

「学校にいかないのか?」「学校にいけないのか?」
時間はかかったが答えは「いけない」だった。


「行きたい」気持ちはあるのだという。
「前の学校の先生(不登校の原因となった先生)のことは思い出したりする?」
うなずく。言葉には出来ないようだ。
その他、攻めにならないよう話を続けるが、結論は出ない。
自分でもどうしていけないのかわからないらしい。


病的なこともわかってるが、精神病扱いされてカウンセリングを受けるのもいやだという。
(カウンセリングを受けて傷を広げる場合があるとのことで強く進められない。)


やはり、話は滞る。

が、長男、長女、母親、私、此の4人は、厳しいこというかもしれんがおまえの味方なんだよ・・・。どんな状態でも味方だから。と言い聞かせる。

こういうことを何度もいわれるのはいやかもしれないが、味方であることだけは勘違いしないでほしい。

そして、やはり「がんばれ」の言葉を次女に贈る。


長男は反発してきた。

「本人はがんばってるだからプレッシャーになるよ」
「そのとおりなんだよなあ」といいながら「それでもお父さんはがんばれといいたいんだ」と説明。

「お父さんはやっぱりがんばれっていわれたいんだよな・・。」

「俺もがんばるからおまえもがんばれ」

やはり「がんばる向こうにしか望ものは無い。

がんばることで望むことの向こう側に届くんだとお父さんは思ってる。」


「去年、がんばって、負けて、(不登校になった)仕方が無かったけど、また、がんばって今度は勝てるようにがんばってみよう?」

「自分にがんばれって声をかけよう」

「自分自身に向かって『がんばれ』って声に出してみよう」


最後に、昨日わかったことだが、長男が健康診断で血尿がでたという。

(全く驚くこともこえてあきれてしまう)私と同じく腎臓病かもしれない。

あさって精密検査をする予定だ。


だが、心配するな、長男が腎臓病なら、お母さんがすぐに移植してあげるから、(お父さんのは、もう使えないからあげられないけど)心配するな。

お母さんは(お父さんも)腎臓くらいすぐにくれてあげるから、心配すんな。
こう言った後、お母さんをみると笑顔でうなずいてた。


この話の続きで、改めて、長女・次女・長男に、話す。

「お父さんもお母さんも、おまえらに心臓くらい簡単にあげるから、もし、おまえらが病気で心臓が必要だっらすぐにあげるから心臓くらい。親っていうのはそんなもんだから・・。それだけは心にとめといてくれ。」

くさい話かもしれないが、思ってること考えてることを話せた「家族会議」になった。


正直、どうなるか不安だったが、結果がすべて出た訳では無いが・・・。
やってよかったと思う。正直疲れた、その後、なかなか寝れず、きょうはつらいが、・・。

「お父さん、がんばる、おまえらも、がんばれ」

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